ボウイありがとう
2016年 01月 19日
結局あの夜は朝まで遊んで昼過ぎに起きたらデビッドボウイ死去のニュースが流れてきて一気に目が覚めた。俺にとってボウイは今につながる洋楽との出会いをつくってくれた特別な存在であることは前にも書いた通り。なんだけど不思議と「悲しい」とか「寂しい」という感情は湧いてこなかった。もしかして俺、人としてどうかしてしまったのかと思ったけど、その夜に「はじめてのおつかい」見たらわんわん泣けたので、どこかに感情を置き忘れてきたわけではなかったみたい。
そもそも3年前のアルバム発表時もメディアにぜんぜん顔出さなかったし、最後のライブ(というか人前で演奏したのは)もう10年くらい前だったりする。もっと言うと、それ以前から、はじめてボウイを聴いた20年以上前からボウイは生きてるのか死んでるのかよくわからない、自分のいるこの世界とは別の世界、またはパラレルワールドの中で生きてる人みたいな感覚があった。あと単純に90年代初めのリアルタイムのボウイは全くイケてる存在じゃなくて「これじゃない感」がすごかったというのもある。
あとボウイは昔からアルバムごとに違うキャラクターを名乗って演じていたから。「ボウイが死んだ?へえ、次はなんて名前のキャラなの?」という感覚もある。「アーティストは死んでも作品は死なない」とかじゃなくてなんだろう、生きてるとか死んでるとか関係なく当たり前のようにそこに「ある」のがボウイの音楽で。もしかしたら木村君のようにボウイもタイムリープを繰り返しながらあの変幻自在のキャラクターやアルバムを作ってたのかもしれない。