主人公は僕だった
2007年 06月 24日
この小説が悲劇なのか、それとも喜劇なのかによって自分の運命が決まってしまう為、主人公は自分の行動や周りの反応に「これは悲劇」とか「喜劇だ。よかった」などとジャッジをしてゆくわけですが、俺自身の行動に当てはめてみても、これって結構難しいよね。たとえば道でうんこを踏んでしまうことは、俺にとっては悲劇だけれども、見る人にとっては喜劇だったりとか。たとえば彼女が出来て最高にハッピーだったとしても、それは壮絶な悲劇への前振りなのかもしれない、とかね。ここぞというときの渾身のギャグがまったく受けなかった場合は、悲劇なのか喜劇なのか。いままで自分の人生をそんな風に考えたことなんてなかったなあ。そんなことを考えながら観ていたら、最後に自分の運命を受け入れた主人公の行動と、それに続く作者と大学教授のやり取りに、なんだかひとつの答えをもらったような、幸せな気分で劇場を後にすることができました。うん、これは良い映画。
あと、映像や音楽の使い方がセンスあるなあって思ったら、『ステイ』と同じ監督だったんですね。たしかに全体に漂う切ない雰囲気が似てる。納得。主人公が、自分が死ぬ結末の小説をバスの中ではじめて読む場面で、ザ・ジャムの「ザッツ・エンターテインメント」が流れたのはシビれました。